以前に、美学校の藤川校長先生にジン(フリーペーパー…ではなく、50円)を頂きました。タイトルは「自立学校シリーズ」1963年4月発行です。これは、残念ながら1号だけで終ってしまいましたが、美学校の前身というか土台の思想です。
このフリーペーパーを読んで、ユミソンは、≪晩生 「自立」の現在≫を開催することを決めました。
来週の金曜日2月29日18:00からです。資料代500円かかります。
それまでに手書きのフリーペーパーをタイプしておきます。
今回は講師は呼ばずに、生徒だけの教室を開こうと思います。
みなさん、ぜひぜひ遊びに来てください!
谷川雁さんが書いた前書き(?)を引用しておきます。
このフリーペーパーを読んで、ユミソンは、≪晩生 「自立」の現在≫を開催することを決めました。
来週の金曜日2月29日18:00からです。資料代500円かかります。
それまでに手書きのフリーペーパーをタイプしておきます。
今回は講師は呼ばずに、生徒だけの教室を開こうと思います。
みなさん、ぜひぜひ遊びに来てください!
谷川雁さんが書いた前書き(?)を引用しておきます。
学校なんかつまらないということは、常識。あながちためにならないことばっかりではいというのも常識。どっちを向いても常識ということも常識。常識もたまにはいいもんではないでしょうか?「無知が栄えたためしはない」とマルクスがいったことをおぼえましょう。ついでに「すべてを疑え」といったことも。しっかり暗記していれば、あなたは有能な人間になる。つまり、この世の「役人」になる。役人がいやなら、どうすればいい?乞食や下男はきらいですって?それでは浪人は?これまた居直り専門です。
匪賊はどうでしょう?無名にして、かつ無敵の匪賊。恋にだけはちょっぴり弱いというあれ。残念ながらこの国には、かっこうな石ころ山や砂漠がありませんけれども、空想の匪賊としゃれますか。
いや、おしゃれはもともとしんどいもの。ひねくれて無精ひげをのばしてみても、いつかはウドンを食うじゃまになる。考えてみれば、何ものかであろう、何かになろうという了見がまちがいのもとである。
何ものにもなりたくないッ、名づけようのないものになりたい!ひっぱってもつまんでも変わらないけど、猫の目のように変わるおれとの間の、そのすきまの、かっこうのつかないところに、ほんとうのおれがいる。「おれ」といってよいのか、「いる」といってよいのか。とにかくおれは、そこにはさまってあぐらをかいているおれが気にくわぬ。
おれはもっとおれをはさみつけ、おれはおれをしぼりだし、空っぽのチューブになりたいのだ。しぼりだされたものがどんなにあざやかな血の色をしていようとも、おれはそのために働くのではない。もはや残りすくなにみえるすきまが縮まれば縮まるほど、そこは広大な宇宙に近づいていくからだ。
あなたはそういうふうに考えてみたことがありますか?個人は割れており、われている個人のなかに集団があり、その集団を、外におしのけるにしたがって、深刻な集団が個人のなかで、息をしている。あなたのなかの、追いつめられたひとしずくの集団と斗(たたか)うべし。そうすれば、あの気だるい進歩的良心とおさらばしながら、あなたは集団そのものになっていく。
とはいうものの、しょせん人間が自分の足で立つことを教えてやろうとか、教えてもらおうとかは、できっこない相談でしょう。不可能であるはずのものを可能であるような顔をして、高い月謝をとるのがいまの学校なんで、それならば、いっそ不可能を公言する学校というものができませんか。
自立学校とは、永久に存在することのできない学校です。矛盾の粋、逆説の華。名づけようのない人間になるための、ありうべからざる学校です。もしそんな学校があるとしたら…ということを想像し、力いっぱいそれに接近しようとする悪戦苦闘だけがこの学校の唯一の教課なのです。
だから、この学校の授業料はとびきり高くつきます。ひょっとすると、あなたの生涯のすべてをもらうことになるかもしれません。よし、くれてやろう、そのかわり、既成の価値をためこんで、精神の領域における独占と帝国主義を、何食わぬ顔で強化しようとするやつらを、まずこの学校で、あたるをさいわいノック・アウトしてやる。そうしなければ、労働者だのインテリだの、ちょろいレッテルがおれの顔にはりついて息ができない---そういう人はありませんか。それが、つまり入学資格です。
知性のロードワーク、思想のボディビル、そしてあなたの両手に絶対のパンチをつけることが教育方針です。
看板にいつわりありと思ったら、学友をつれてどんどんやめること。やめてほんとの自立学校をつくりなさい。そっちがほんものだと思えば、こっちはいつでも解散しましょう。